管理人 柴田亮のプロフィール

柴田亮です。

この度はアクセス頂いて誠に有り難うございます。

このページでは、僕のプロフをお伝えします。

情報発信する上で、「どういう人が記事を書いているのか」は読む人にとって大事だと思います。

省略しまくったつもりなんですが、少し長くなってしまったようです汗

 

島根県 松江市出身

 

ご存知の人も少ないかもしれませんが 何も知らない田舎です。

しかし出雲大社は、聞いた事がある筈です。

だいたい車で1時間程度の場所です。

 

僕は、とくに何か勉強が賢いとか特別なスキルを持っているという事もありません。

ただその辺に居るような半グレだったわけでもないのです。

「もっと勉強したかった!!」

「もっと色々な資格を取りたかった!」

にも関わらず高校に進学していないのです。

その理由の一つに、中学生1年の時に父親が蒸発した事が挙げられます。

中学生時代に父親が蒸発

 

実は中学に入学したての頃、父親が蒸発。

理由は今考えると女だと思います。

それ以前にも何度も夜中遅く帰ってきて喧嘩をしていることを聞いた事があります。

僕と弟と母親の3人での生活が始まったのですが父親が出て行ってからは生活が厳しくなりました。

あまり親の仕事の事は考えた事がありませんでしたが、生活が変わる内に色々とお金の事を考えるようになりました。

母親は当時元気だったので僕らが学校に行ってる間は、近くのコンビニなどで仕事をしていたようです。

まだまだ大人の事情が分からなかった僕達はあまり気にしてませんでした。

しかし、父親の借金があったようで そのしわ寄せが母親の方にも来るようになったのです。

 

とにかくたくさんの書類が届くようになり母親が夜遅くまで起きて悩んでいる姿を見てきました。

当時の僕でも「お金が足りないんだな」という事が伝わってきました。

そして二年に上がった時には母親は夜も遅くまで仕事をするようになっていました。

何の仕事をしているか分かりませんが、帰ってくると嫌なお酒の臭いがした事を覚えています。

それからというもの、僕自身は、中学校へもろくに行かなくなり、勉強も嫌になり、家で映画を見たりしながら気を紛らわすようになりました。

 

そんな生活が続いて 貧しいものの何とか中学校を卒業できましたが 僕は進学を選びませんでした。

本当は勉強したかったにも関わらず、母親が気にしない程度に強がって、「どうしても仕事がしたい」 仕事をしながら専門学校を考えたい」と 話をしていたのです。

まだ妹は学校にも行きたいだろうし僕が我慢すれば 少しでも楽になるだろうと。

少しでも負担を減らす為にも住み込みの寮付きのお店で働く事にしました。

 

見習いだとすごく給料も安いのですが少しずつ妹にお小遣いをあげたり母親の為に少しでもお金を入れたりできる限りのことをしてきたつもりです。

週に1度ほどは自宅に戻っていたのですが だんだんその回数も減り、およそ1年ほど経過した頃に「お兄ちゃんお母さんが…」という電話が僕の所にかかってきたのです。

朝方でしたが原因は、アルコール性の肝障害でした。

とりあえず命には別状が無かったのでホッとしたのですがしばらく入院して退院する事ができたようです。

その後、僕は安月給でコツコツ貯めたお金とその店のオーナーが学費を一部貸してくれましたので学校に通いながら5年ほど働いてコツコツしたお金で自分の店を出す事に…。

「だいぶ良い事が続いている」というのも束の間でした。

 

弟が警察に母親は○○………

良い事も続けば悪い事も続くものだと痛感した出来事が この2つです。

 

※ここからの話は少しリアルなので一部削除しました。

 

とりあえず 色々な大切なものを失ったのです。

生まれて一緒に生活してきた家族、そして店も失い途方に暮れました。

「死んだ方がきっと楽だよな」と何度も死を考えた事があります。

 

本当に目の前真っ暗で、何もやる気が起きないのです。

分かりますか?

手に付かない。

考えるのも嫌だ!という状態なんですよ。

本当に。

脱力感が半端ない。

「何が楽しくて自分は、生きているのか」とか
「この先生きていて何か良い事があるのだろうか」とか
金欲、性欲、食欲全てが失われたようなレベルです。

でも生きるなら仕事をしなくちゃいけないしどんな事情があるにしろ借りたお金は、返さなくてはいけません。

数ヶ月は事情を説明してローン会社が理解してくれましたが猶予はほんの一瞬の時間です。

ただ、破産されるよりは、マシだから話はまとまりました。

 

悲しい、脱力感…でも仕事をやって返さなければいけないという追い詰められた状態だったのです。

やむを得ずガードマンや警備員、そして建築現場での いわゆる「どかた」などの仕事を選んだのです。

客商売の場合、精神的に参ってるので とてもできそうに無かったからです。

 

職を転々としながら、この時期は、本当に辛かったです。

そんな時、心の支えになってくれたのが中学生が一緒だった私の今の妻です。

 

「守るものができた」

 

母が亡くなる前から、軽い付き合いが続いていたのですが母が亡くなってから より距離が近くなりました。

妻のお陰で、仕事をしながら少しずつ前向きになり始めて結婚を決意したのです。

お金も殆どありませんでしたが妻の実家も近く、生活はお世話になりながら現在は、2人の子供を授かっています。

子供ができてからは、「自分みたいな人生は歩ませたくない」

そんな気持ちで、「何かで成功して幸せにしてやりたい」と強く考えるようになったのです。

いやー本当に気持ち一つで大きく変わるものだと このとき痛感しましたよ^^;

 

「人間って本気になれれば 何でもできるものだ」と。

 

と言っても厳密には、お金を特殊に稼いだわけでなく、ただただ周りの環境を利用して節約して返済に回しただけですが(笑)

 

なんとか借金の返済も決着がついたので 仕事をしながら色々模索をして
ITの世界に目を向けたのです。

 

 

ネットでは、「月収7桁稼ぐ方法」といったものがわんさか目に飛び込んで
きたので僕は、とにかく仕事を終えてから毎日時間を作って
サイトの作り方やアフィリエイトの仕組みを覚えたり、不要品を売ったりしながら
転売の仕組みを理解する事から始めたのです。

 

最初は自己アフィリエイトという聞き慣れない言葉の事を始めたりして
お金を稼ぐ方法を模索し続けました。

 

その結果、苦労した甲斐もあって 毎月の収入も現在は右肩上がり。

 

今思えば懐かしい話ですが それから自分の長男が中学を迎えた時

ちょうどリアルタイムの実績ですがこのプロフを作っている10月の1日の実績ベースです。

僕が使っているのは、インフォトップなどの情報商材ASPに加えて物販系のASPを活用しています。

 

もちろんこのブログでは、ありませんが 他のASPも合計すると年収は、2000万~3000万に膨れあがりました。

今、このような自分があるのも 僕が作成したサイトのお客様や、僕を産んでくれた母親、そして蒸発した憎き父親、そして今では、僕の家の近くに住んでいる妹、そして僕を支えてくれた妻、そして子供達の存在が全てあってこそです。

本当に感謝感謝です。

そして僕が体験したような中学生からの嫌な思いは絶対 自分の子供達にも自分の妻にもさせる事もなく現在に至っています。

 

僕がこのサイトを立ち上げた理由

なぜ僕が今回このサイトを立ち上げたのか?その理由は、ネットには、怪しい情報もあれば良い情報もあります。

僕自身もアフィリエイトを学ぶなかで色々な人を見てきました。

「何が正しくて、何が悪いのか」

学んでいる時も「自分が学ぶ過程で あったら良いな と思うものを形にしたい」とずっと考えていたのです。

そこで今回は一人でも多くの人の役に立てるように この「ネットラボ」を立ち上げたのです。

僕は、どん底だった時期から比較するとだいぶ生活も変わりました。

好きな時に旅行に出掛けたり、
平日とか休日を気にせず、大切な家族と一緒に過ごせる時間が増えたり、
今まで買えなかった欲しい物を買えるようになったり、、、

 

本当に、絵に描いたような当時から考えると非現実的な日常を送る事ができるようになったのです。

 

このサイトの定義は、「ゆっくり情報収集できるリゾートのようなサイト」を意識しています。

できる限り分かり易く、そして正確な情報をモットーに情報発信していこうと思います。

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